企画意図

朝鮮末期顯宗{ヒョンジョン}の時代、朝鮮最初の漢方外科医として独歩的なでき物治療で"神医"という呼称を得た医官ペク・クァンヒョン(白光炫、1625~1697年)の波乱万丈な生涯と奥深き医学世界をドラマで構成する。
賎民の身分で馬医から出発して獣医師として名声を得て続けて内医院{ネイウォン}*1の医官になって御医{オウィ}*2になって、韓方医学界に史上初めて"韓方の外科的手術"という新しい分野を切り開いて天下に名を知らした鍼医ペク・クァンヒョン!
貧しい国民らのために70年の生涯を献身的な医術を広げた神医ペク・クァンヒョン!
獣医師から始まった彼の波瀾万丈で立志伝的な医術人生と彼が一生追求した医術ヒューマニズムは冷酷で世知辛い今日の医療界の現実にこの上なく大きい警鐘を抱かせるだろう。

人の病気の治療を扱ったドラマ"ホ・ジュン"や"チャングムの誓い"とは異なり家畜の病気を扱った獣医学の世界では、特に"馬医"で始まるペク・クァンヒョンの序盤の医学の世界では、人間の病気の治療とは全く異なる新しい内容を示す。
またこのドラマで製作陣は生死を行き来する"強烈な劇的効果"と"医術を通じたヒューマニズムの追求"という医学ドラマの純粋機能を極大化させ、視聴者には様々な健康情報を提供しながら興味のあるドラマとして視聴吸引力も高める。
医学関連素材に加えて、本ドラマは朝鮮時代のもう一つの風景が新しい見どころとして提供される。
朝鮮時代風俗文化の花と呼ばれた別監{ピョルガム}たちの世界をはじめ、朝鮮時代の離婚と再婚、王も訪ねてきて食事を楽しんだ漢陽{ハニャン}一番のレストラン"武橋湯飯{ムギョタンパン}"などを再現して視聴者たちに今日と似ていながらも他の朝鮮の風変わりな風景をのぞく楽しみを提供しようとする。

馬医司僕{マウィサボク}とは

朝鮮時代司僕寺{サボクシ}に属していた獣医。
司僕寺は宮中の乗輿・馬匹などの事務を受け持つ官庁だが、朝鮮時代の司僕寺官員は堂下官{タンハグァン}である{ジョン}(正三品) 1人と副正{プジョン}(従三品) 1人、僉正{チョムジョン}(従四品) 1人、判官{パングァン}(従五品) 1人、主簿{チュブ}(従六品)2人を置いた。
また、司僕寺に所属した技能職官員は馬医10人をはじめとして安驥{アンギ}(従六品) 1人、調驥{チョギ}(従七品) 1人、理驥{イギ}(従八品) 1人、保驥{ポギ}(従九品) 1人と牽馬陪{キョンマベ}10人などを置いた。
車馬と養馬に関する業務を受け持った司僕寺は諮問機関で提調{チェジョ}2人を置き、兵曹{ピョンジョ}とともに馬医の選抜任用を主管した。
司僕寺は車と馬など軍事と関連したことを管轄したので兵曹の統制を受けた。
兵曹で司僕寺提調とともに馬医書の一つの《安驥集{アンギジブ}》の講読試験を実施して馬医を選抜した。

ペク・クァンヒョン(白光炫)とは

朝鮮末期の御医。初めは馬の病気を治す馬医だったが、人のでき物も鍼で裂いて治療する外科的治療法を開発して多くの患者を完治した。
本貫は林川{イムチョン}であり、字は叔微{スクミ}である。独学で鍼術を習って初めには馬の病気を治した。
鍼術で馬の病気を治めるのに自信を持つと、人のでき物も鍼で裂いて毒を除く手術をしてみて、効能を得た人が多かった。
その後馬医であるのに人のでき物を治療する医員に専念して豊富な臨床経験を積んだ。
毒気が強くて根元が深い悪性のでき物で死んでいく患者を生かすと人々から神医と呼ばれた。
たとえ医科榜目*3には載ることができなかったが、優れたでき物治療術で顯宗の時代治腫の教授で内医院医官を兼ねた。
また、顯宗の首にできた大きいでき物と孝宗{ヒョジョン}妃である仁宣王后{インソンワンフ}の足首にはれ上がった炎症、肅宗{スクチョン}ののどのでき物とヘソのでき物などを治療した。
1670年顯宗の病気を完治したことで他の医員とともに品階がより増したし、ついに御医に上がった。
1683(肅宗9)年康翎県監{カンリョンヒョンガム}[従六品]に任命され、引き続き抱川県監{ポチョンヒョンガム}に移された。
1691年には知中樞府事{チジュンチュブサ}[正二品]になったし、翌年崇祿大夫{スンロクテブ}[従一品]に上がった。
張志淵{チャン・ジヨン}が「我が国で皮膚を裂いて治療する方法は白太医(白御医)から始まった」というように、鍼で手術する外科的治療術の元祖ということができる。(1625~1697年)

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