姜嬪

昭顯世子{ソヒョンセジャ}の正室。

【史実では】
右議政{ウィジョン}姜碩期{カン・ソッキ}の娘。1627年(仁祖5年)に嘉礼を上げて世子嬪になった。丙子胡乱{チョンミョホラン}*1の後1637年(仁祖15年)に世子とともに人質として瀋陽に捕えられて1645年(仁祖23年)帰国した。

丙子胡乱の時昭顯世子とともに清国に人質として捕えられ瀋陽に留まった8年間に経営手腕を発揮して国際貿易と農作業で多くの財産を蓄積した。当時清国は食糧不足に苦しめられたが遊牧を主にする民族であったため農作業に対する知識がなかった。そこで朝鮮から奴隷に捕らえられてきた人々を動員して農作業をして多くの利益を残した。だが仁祖{インジョ}は瀋陽で昭顯世子と世子嬪が清国高官らと円満な関係を形成して親清的立場を取るとすぐに清国が昭顯世子を即位させて自分を追い出すのではと疑い始めた。1643年(仁祖21年)父親の姜碩期が死亡するとすぐに瀋陽からしばらく帰国したが仁祖の牽制で往哭をすることができずに戻った。昭顯世子は帰国後、清国での行動を問題視して仁祖の虐待を受け突然急死した。

世子が死んだ後仁祖が作り出した謀殺計画にずっと苦しめられて監禁された。その年仁祖に寵愛を受けた昭容趙氏{ソヨンチョシ}の誣告により趙氏呪詛事件の主謀者および王の食べ物に毒薬を入れたという罪目を受けた。1646年(仁祖24年)仁祖により無理矢理に廃位させられその日に毒薬を受けて賜死した。引き続き幼い息子たちは済州島{チェジュド}に流刑になって死亡し、老母と四兄弟は全員処刑されたり杖殺された。

1718年(肅宗44年)疑惑が晴れて世子嬪に復位した。清国に人質に捕えられた境遇だが失意に陥らないで新しい文物と実用主義に目を開いた女性で高く評価される。(1611~1646年)

出演者
キョン・スジン

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