イ・イニム

高麗時代の文臣。イ・ジョングンの父。

権門勢族{クォンムンセジョク}*1{}王時代の権力者である。イ・ソンゲを殺し高麗最高の権力者になろうとする。

蔭補{ウムボ}*2で官職を開始し、1、2次紅巾賊の乱に功臣となった。1364年德興君{トクフングン}の乱を平定して左侍中{チャシジュン}*3を経て守門下侍中{スムナシジュン}*4になる。元国の東寧府{トンニョンブ}*5を征伐、廣平府院君{クァンピョンブウォングン}に冊封された。
恭愍{コンミン}が殺害されるや禑王を推戴、政権を握って親明派を追放した。要職独占、売官売職、政敵除去などの権力を握って日々好き勝手に振る舞うが、結局は反逆者になって流刑されることになる。

彼の暴力は単純な反面、徹底した計画の下で人々を支配したりする。変身と処世が上手い。つまり氷のような知性と火のような暴力性を持った2つの顔を持つ人物である。世界を自分の手で新たに覆すことができると信じる。

恭愍王即位初期に門蔭{ムンウム}*6で官界に進出、紅巾賊の侵入を退けるなどして一等功臣になった。1365年辛旽{シンドン}が改革を推進する時田民弁整都監{チョンミンビョンジョンドガム}*7で主業務を引き受けてみるなど実務を掌握し、以後彼の地位はずっと上がって1368年左侍中になった。1371年恭愍王が辛旽を粛清してモニノ(牟尼奴、後の禑王)を明徳太后{ミョンドクテフ}(恭愍王の母)に入れる時も彼の位置は左侍中として揺れなかったし、再び登場した保守指向の武臣勢力と提携して自分の位置をより一層確かに固めていった。1374年恭愍王が殺された後、禑王を王位に上げるのに成功して権力の中心を占めることになった。この時それまでの外交政策を捨てて元国と明国に二足をかける両端外交に方向を変えて、その間遠ざかった元国(当時は北元)と再び外交関係を回復する一方、明国とも外交関係を切らないで使節を派遣した。このような外交政策の転換は新進勢力の猛烈な非難と攻撃の対象になった。これに対し彼は崔瑩{チェ・ヨン}池奫{チ・ユン}等と力を合わせて1379年まで反対勢力をほとんど追い出して以後池奫・林堅味{イム・ギョンミ}廉興邦{ヨム・フンバン}と共に権力を振り回すことができた。

1382年以後実権が弱くなって政治一線から退き、1386年再び左侍中になったが翌年老病で辞職した。1388年禑王は崔瑩・李成桂{イ・ソンゲ}と相談して林堅味・廉興邦・王福海{ワン・ボクヘ}などを処断してその一派を流刑にしたが、この時も故郷の京山府{キョンサンブ}に流刑になってまもなく死んだ。(?~1388年)

出演者
チョ・ミンギ