イ・ソンゲ朝鮮の初代王
国運が衰えた高麗末、民を生かすために推戴された新しい指導者。

高麗末の強大な武将であった。
右軍都統使{ウグンドトンサ}*1として遼東征伐のために北進している途中威化島{ウィファド}で回軍した。{}王を廃して{チャン}王を立てて自分は守侍中で強大な権力を掌握する。
朝鮮を立てて都を漢陽{ハニャン}に移し新生国朝鮮の基礎を固めた。

体面を重視した高麗の官吏とは異なり、妓生{キーセン}たちを行楽の場所に連れて行って踊りを踊って戦場で敗れて逃げて行った将軍の姿を滑稽に真似てからかっている即興的で軽い性格だが、戦場では神弓であり敵陣に向かって先頭に立つ神弓であり、敵陣に向かって先頭に立つ生まれつきの武将である。豪快で義理があり男らしい。

既得権を守るために民を戦禍の危険に追い込む高麗をこれ以上見守ることができなかった彼は自分を支持する賢者たちの言葉に応じて指導者としての運命を受け入れ威化島回軍を決心する。

高麗末期の新興士大夫階層を代表した武人。弓の名手で武道に優れた才能を見せた。高麗末期の将軍で元国の双城摠管府{サンソンチョンガンブ}*2を攻撃して奪い、紅巾賊10万人が高麗に攻めてきたときも勇敢に立ち向かい戦った。その後東北面兵馬使{トンブクミョンビョンマサ}*3になって元の将軍納哈出{ナガチュ}を打ち破り、1378年から1380年まで、智異山{チリサン}海州{ヘジュ}荒山{ファンサン}などで倭寇を大きく打ち破った。

しかし頻繁な戦いで兵士たちが疲れてもうこれ以上戦えない状況の中で、1388年再び明国が鉄嶺{チョルリョン}付近に軍事補給基地を作るという噂が出回るとすぐに禑王から遼東征伐を命じられた。右軍都統使として10万の兵士を率いて鴨緑江{アムノッカン}の真ん中にある威化島に到着したが、威化島進撃中の兵士を返し開京{ケギョン}に進撃し、崔瑩{チェ・ヨン}を排除して禑王を廃して昌王を立てた。翌年に再び昌王を追い出して高麗最後の王になった恭讓{コンヤン}王を王座の席に座らせたが、1392年鄭夢周{チョン・モンジュ}など高麗の忠臣を排除して恭讓王も王座から退任させ475年続いた高麗王朝は滅亡した。1393年2月15日国号を朝鮮と定め、新しい王朝を設立し初代王太祖{テジョ}となった。1394年無学{ムハク}大師の建議を受け入れ、都を漢陽に移した。また儒教政治を国家の基本にして農本主義を建国理念として、朝鮮500年の根本的な政策になるようにし、農商奨励、関税整備など朝鮮の基礎を確立することに大きな業績を成し遂げた。(1335~1408年、在位:1393~1398年)

出演者
チ・ジニ
吹替版の声
檀 臣幸