チョン・ドジョン

高麗末、朝鮮初期の文臣であり学者。朝鮮の開国功臣、風水学者。

イ・ソンゲの右腕で朝鮮建国の主役だ。儒学の大家で開国後軍事、外交、行政などほとんどあらゆる分野でイ・ソンゲの頭脳的役割をした。朝鮮の理念的土台を用意して体裁を整備した。

腐さってしまった高麗王室を倒して新しい国を建てるためにイ・ソンゲを手伝って建国の計画を立てる。新しい国を建ててイ・ソンゲを王に推戴する名分のためにチサンと導師たちを利用する。

高麗末朝鮮初期の政治家であり儒学者。字は宗之{チョンジ}、号は三峯{サムボン}

高麗末の混乱した封建統治秩序を収拾して改革派の新政権をたて外部の大国主義的強圧に反対した歴史的に進歩的役割をした人物だ。李穡{イ・セク}の門下で鄭夢周{チョン・モンジュ}李存吾{イ・ジョノ}などと共に学び、1362年進士{チンサ}試験に合格して成均館大司成{ソンギュンガンテサソン}判義興府事{パニフンブサ}三道都統使{サムドドトンサ}などを歴任した。1375年(禑王1年)、没落する元国との外交関係に反対して明国と外交関係を結ぶことが情勢に合うと主張して全羅道{チョルラド}会津県{ヘジンヒョン}に流刑になった。1383年李成桂{イ・ソンゲ}の幕僚に入って倭寇と女真族の侵略をはね除けるのに何度も参加した。

中小土地所有者層の利益を代弁した彼は、高麗末の大地主出身の権門勢族{クォンムンセジョク}*1の乱れた土地・統治制度を改革し新しい王朝を強化するのに主導的役割をした。1388年威化島{ウィファド}回軍以後李成桂が政権を握ることになるとすぐに趙浚{チョ・ジュン}と共に土地改革を断行し、{}王・{チャン}王を辛旽{シンドン}の子孫といって廃弑{ペシ}(廃して殺し)させて恭讓{コンヤン}王をたてた。1392年李成桂を王に推戴して開国一等功臣となり、朝鮮建国以後には新しい王朝の文物制度と国策の大部分を決めた。すなわち漢陽{ハニャン}遷都当時には主要建築物の位置や名前などを定め、《朝鮮経国典》《経済文鑑》《経済文鑑別集》などを作ってすべての文物・制度を整備した。また1394年からは兵制を大幅改革して陳法{チンボプ}陳図{チンド}を作って兵士を訓練させ、州郡の宿場を区画設定した。この時、明国で表箋{ピョジョン}*2の中に明国を冒涜する句があるといって表箋を作った鄭道傳を捉えて送れと要求すると、鄭道傳は遼東征伐を計画して自分の陳図によって軍事訓練をしていた中、1398年李芳遠{イ・バンウォン}(後の太宗{テジョン})の襲撃で殺された。

事実彼の兵制改革は封建国家の中央集権力を強化し、自分の政治的地位を強化するために当時王子らと功臣が率いた兵士をなくそうとする意図が含まれていた。これに対し李芳遠は鄭道傳が多くの王子をなくして明国に侵入しようとしたという口実で軍事政変を起こして政権を掌握した。一方鄭道傳は徹底した排仏論者として《仏氏雑弁》を著述、仏教を抹殺して性理学で統治思想を取り入れようとした。文集で《三峯集》が残っている。(1337~1398年)

出演者
ペク・スンヒョン