明徳太后

恭愍{コンミン}の母。

恭愍王暗殺後、パニャの息子であるモニノを即位させようとするイ・イニムに反対するが押し切られる。その後心臓病を患って亡くなる。

高麗第27代忠肅{チュンスク}王の妃。姓は洪氏。父は府院君{プウォングン}{ギュ}。王に即位すると德妃{トクビ}として、忠惠{チュンヒェ}王と恭愍王を産んだ。
1316年(忠肅王3年)王が元国の濮國長公主{ポクグクジャンゴンジュ}を迎えると、公主が太后に嫉妬したので、定安公{チョンアンゴン}の家に居を移した。かつて府を立てて德慶府{トクギョンブ}としたが、恭愍王が即位した後、文睿府{ムニェブ}に変え大妃とした。
しかし、後に崇敬王太后{スンギョンワテフ}に再固定した。恭愍王が死去して{}王が10歳の幼い年齢で即位すると、常にそばで国政を守った。死去後は、令陵{ヨンルン}に葬り、諡号は恭元{コンウォン}といった。(1298~1380年)

出演者
キム・チョン