イ・バンソク

イ・バンソク2イ・ソンゲの八男で神德{シンドク}王妃{カン}との子。(1382~1398年)

名は芳碩、諡号は昭悼{ソド}。1382年太祖{テジョ}李成桂{イ・ソンゲ}と二番目夫人である神德王后康氏の間で末の息子として出生し、太祖李成桂の8番目の息子である。1392年(太祖1年)芳碩の年齢が11才ながら朝鮮王朝最初の世子{セジャ}に冊封された。幼い時から聡明なことで太祖李成桂の愛を受け、裵克廉{ペ・グンリョム}鄭道傳{チョン・ドジョン}趙浚{チョ・ジュン}など功臣の推戴で世子に上がることになった。

一番目の夫人に賢嬪{ヒョンビン}{}氏をむかえたが、内侍李萬{イ・マン}と不倫したと廃庶人{ペソイン}にして追い出され、1397年(太祖6年)沈孝生{シム・ヒョセン}の娘を二番目の世子嬪に迎えた。当時太祖には最初の妻である神懿王后{シヌィワンフ}{ハン}氏との間に何人かの息子がおり、適正者である永安大君{ヨンアンデグン}定宗{チョンジョン})が王権を継承することが一般的な従事だったが、王権を警戒して臣権を強化して朝鮮の政治を広げようと考えた臣下によって幼い芳碩が世子に推戴することになった。これに対し朝鮮王朝建国を主導した鄭道傳、沈孝生、南誾{ナム・ウン}などの大臣たちが中心となって臣権が権力の中心に登場した。

だが、これは政治的な波紋を呼ぶ結果を産んだ。神懿王后{シヌィワンフ}{ハン}氏の実子であり芳碩の腹違いの兄である李芳遠{イ・バンウォン}李芳幹{イ・バンガン}などが不満を抱くことになり、ついに1398年(太祖7年)第1次王子の乱が起きることになった。李芳碩を支持した鄭道傳など臣下は全て殺害されて太祖李成桂は芳碩を助ける条件で李芳遠のクーデターを認めることになった。だが、芳碩が流刑のため宮殿の門を出るやいなや同母兄である芳蕃{パンボン}と共に李芳遠一党に殺害され、芳碩を世子に推戴したことは鄭道傳が幼い世子を前に出して謀逆を整えたこととして評価された。李芳遠が王(太宗{テジョン})に登板した後1406年芳碩は昭悼君{ソドグン}に追封され、その後の肅宗{スクチョン}の時に至って1680年宜安君{ウィアングン}に追封になった。

ネイバー知識百科(斗山百科)より
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チョン・ユンソク
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