イ・ジラン高麗末朝鮮初期の武臣。[臣権派]

女真族出身で、戦場で出会ったイ・ソンゲに惚れて、彼とは義兄弟を結んで苦楽を共にする。性格は急で火のようだがイ・ソンゲの言葉には、絶対的に信じて従う忠実な将帥であり、イ・ソンゲを最もよく知る最側近。(1331~1402年)

本貫は靑海{チョンヘ}。字は式馨{シキョン}。本姓は[{タン}]。初名はモンゴル式の名前である[古倫豆蘭帖木兒{クラントランティムル}]である。諡号は襄烈{ヤンニョル}。女真の金牌千戸{クムペチョノ}阿羅不花{アラブカ}の息子であり、和英{ファヨン}の父である。咸鏡道{ハムギョンド}北靑{プクチョン}に居住しながら李成桂{イ・ソンゲ}と親密に過ごした。元朝が衰退して朱元璋が明を建国すると恭愍{コンミン}王の時の部下を率い高麗に帰化した。高麗に帰化した後、李氏の姓と靑海を本貫に受けた。李成桂傘下で雲峰{ウンボン}の戦闘などで功を立てて恭讓{コンヤン}王のとき門下府知事{ムナブチサ}判都評議使司事{パンドピョンウィサササ}を務めて1392年成桂を助け朝鮮建国に功を立てて開国功臣一等に冊禄された。続いて靑海君{チョンヘグン}に封じられて参賛門下府事{チャムチャンムナブサ}になり、1393年慶尚道節制使{キョンサンドジョルジェサ}として倭寇を防御した。

後に東北面都按撫使{トンブンミョンドアンムサ}になって甲州{カプッチュ}孔州{コンジュ}の両方に城を築造し、1398年門下侍郎平章事{ムナシランピョンジャンサ}のとき、第1次王子の乱を収拾して定社{チョンサ}功臣二位になった。後に明を助け建州衛{コンジュウィ}征伐に功を立てた。1400年(定宗{チョンジョン}2年)の芳幹{パンガン}の乱(第2次王子の乱)の時、再度功を立てて佐命{チャミョン}功臣三位になって左賛成{チャチャンソン}に達した。太祖{テジョ}が引退するとすぐに永興{ヨンフン}で侍従しながら僧侶になった。太祖の廟庭{ミョジョン}に配享*1された。

ネイバー知識百科(斗山百科)より
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