イ・ソンゲ朝鮮の初代王。後の太祖{テジョ}(1335~1408年、在位:1393~1398年)
朝鮮の軍事的建国。イ・バンウォンの父。[六龍]

不敗の武将で百発百中の神弓で、義理に暮して義理に死ぬ、何よりも義理を重視した豪傑だった。自分の味方を恐ろしく守り、戦いにおいて後に退くことがなく、常に先頭に立って率先して戦う。

このような性格のせいで部下は命を惜しまず彼に従い、より多くの民もまた彼に従いたがる。高麗の権力を握った権門勢族{クォンムンセジョク}*1は恐ろしく高騰するイ・ソンゲの人気を警戒したが、イ・ソンゲは政治的な部分だけで行けば優柔不断になる。

しかし後日、チョン・ドジョンと意を図り、朝鮮を建国することになる。

本貫は全州{チョンジュ}。字は仲潔{チュンギョル}。号は松軒{ソンホン}。諡号は至仁啓運聖文神武大王{チインギェウンソン ムンシンムデワン}。即位後、諱を{タン}、字を君晉{クンジン}に直した。妃は韓敬敏{ハン・ギョンミン}の娘神懿王后{シヌィワンフ}、継妃は康允成{カン・ユンソン}の娘神德王后{シンドクワンフ}である。咸鏡道{ハムギョンド}永興{ヨンフン}で父李子春{イ・ジャチュン}と母{チェ}氏の間で次男として1335年(忠肅{チュンスク}王4年)に生まれた。彼の先祖は全州に住んでいたが、高祖父李安社{イ・アンサ}の代に間島{カンド}地方に移住して、曽祖父李行里{イ・ヘンニ}、祖父李椿{イ・チュン}、父李子春まで元朝の地方官吏を務めた。元朝が衰退し李子春は高麗に帰化した。1356年(恭愍{コンミン}王5年)父と一緒に高麗に来附*2した後、翌年柳仁雨{ユ・イヌ}双城摠管府{サンソンチョンガンブ}*3を攻撃するときこれに内応して、功を立て、後に父の官職を受け継いで金吾衛上将軍{クモウィサンジャングン}東北面上万戸{トンブンミョンサンマノ}となった。

1361年反乱を起こした禿魯江万戸{トンノガンマノ}朴儀{パク・ウィ}を討伐し、同年紅巾賊の侵入で開京{ケギョン}が陥落すると、次の年に兵2,000人を率いて首都奪還戦に参加して戦攻を立て東北面兵馬使{ドンブクミョンビョンマサ}に昇進した。そして元国の[納哈出{ナハチュ}]が咸鏡道洪原{ホンウォン}に侵入すると咸興平野でこれを撃破した。1364年元朝燕京にいた崔濡{チェ・ユ}が忠肅王の弟德興君{トクフングン}を推戴し、1万人の軍隊で平安道に侵入して恭愍王を廃しようとすると崔瑩{チェ・ヨン}と一緒にこれらを悪川江{ダルチョンガン}で大破し、続いて女真族の三善{サムソン}三介{サムゲ}が咸鏡道和州{ファジュ}に侵入するとこれを撃退した。李成桂は出征した全ての戦闘で勝利して、武人として非凡な能力を示した。

この年密直副使{ミルチクプサ}翊戴{イクッテ}功臣に冊禄された。1368年東北面元帥{トンブンミョヌォンス}門下省知事{ムナソンジサ}に昇進、1372年(恭愍王21年)和寧府尹{ファリョンブユン}となり、1377年({}王3年)倭寇が開京を威嚇するとき西江副元帥{ソガンブウォンス}として、これを撃退した。1380年楊広全羅慶尚道都巡察使{ヤングァン チョルラ キョンサンドドスンチャルサ}となり雲峰{ウンボン}で倭寇を掃討して1382年賛成事{チャンソンサ}として東北面都指揮使{トンブンミョンドジフィサ}になった。翌年李之蘭{イ・ジラン}と一緒に咸鏡道に侵入した[胡拔都{ホバトゥ}]の軍隊を吉州{キルジュ}で大破し、1384年東北面都元帥{トンブンミョンドウォンス}門下賛成事{ムナチャンソンサ}となり、翌年咸鏡道咸州{ハムジュ}に侵入した倭寇を撃破した。

1388年(禑王14年)守門下侍中{スムナシジュン}に上がって崔瑩と一緒に権臣林堅味{イム・ギョンミ}廉興邦{ヨム・フンバン}を処刑、この時明国の鉄嶺衛{チョルリョンウィ}の設置問題で揺れ征伐が決定されると、出征を反対したが拒絶された。右軍都統使{ウグンドトンサ}となり軍事を率いて北進している途中威化島{ウィファド}で回軍、崔瑩を排除して禑王を廃した後{チャン}王を立てた、自分は守侍中{スシジュン}として都摠中外諸軍事{トチョンジュンウェジェグンサ}となって強大な権力を掌握した。翌年鄭道傳{チョン・ドジョン}などと一緒に昌王を廃位して恭讓{コンヤン}王を立てた。1390年(恭讓王2年)三司領事{サムサヨンサ}に昇進し、1391年三軍都摠制使{サムグンドチョンジェサ}として趙浚{チョ・ジュン}などと一緒に旧臣の反対をはね退けて田制改革を断行した。その結果旧臣は経済的基盤を失い、彼の一派で​ある新進勢力は経済的な基盤を構築することになった。1392年(恭讓王4年)鄭夢周{チョン・モンジュ}を除去、その年の7月恭讓王を退位させ、自ら新しい王朝の太祖となった。

翌年国号を朝鮮と定め、1394年(太祖3年)都を漢陽{ハニャン}に移した。1398年第1次王子の乱が起きると芳果{パンガ}定宗{チョンジョン})に譲位した後上王{サンワン}となり、1400年芳遠{パンウォン}が即位すると太上王{テサンワン}なった。1402年王子の権力争いでもたらされた心悩で東北面に行って長い時間滞在した後戻ってきて仏家に帰依し余生を送った。事大主義・排仏崇儒・農本主義を建国理念として、朝鮮500年の根本的な政策になるようにし官制の整備、兵制と田制の再調整などの初期国家の基礎を固めるために大きな業績を残した。廟号は太祖、御陵は健元陵である。

ネイバー知識百科(斗山百科)より
出演者
チョン・ホジン
吹替版の声
津田英三

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