明宗朝鮮の13代王

文定{ムンジョン}王妃の実子で、章敬{チャンギョン}王妃の実子仁宗{インジョン}の異母弟で、34歳で死亡。
幼い頃から過激な母文定王妃の野望の中で恐ろしく育てられる。しかし母とは異なり、暖かく合理的な思考で行動して母文定王后と多くの葛藤をもたらす。(1534~1567年、在位1545~1567年)

配食が切れて囚人の暴動がいつ起きてもおかしくない状況の中、典獄署{チョノクソ}*1に新しく赴任した刑曹正郎{ヒョンジョジョンナン}[正五品]"イ・ギジュン"になりすまして隠密に視察に出る。
チョン・デシクが「今囚人が飢えにいっぱいで鋭敏になっています。視察中にどんなことが起きるかわかりません」と直接視察するのを引き止めるが、「いいえ、私が直接見なければならない」とどうしても典獄署の状態を見回すと主張する。視察を終えて「非常時に備えて備蓄しておいたのがないのか?今後の対策は何だ?」と尋ねると、チョン・デシクが答えられずに代わりにユ・ジョンフェが「囚人の家族に便りを出して獄パラジ*2することを承諾しました。また差し入れを搬入するのも承諾しました」と助け舟を出す。「獄パラジと差し入れとは良い方法だ」としてユ・ジョンフェが出した案に同調したが、そこにオクニョが「それは決して良い対策ではありません。典獄署の責任を負う刑曹の官員がどうしてそんなに無責任な話をおっしゃるのですか?先大王の時代には国にいくら困難が近づいても典獄署の囚人だけは飢えさせなかったです。ところがいくら凶年といってもどうして典獄署の食糧を切ることができますか?」と王とも知らずに茶母{タモ}*3の立場ながら非難する。オクニョに向かって「いったい何の根拠で私が無責任だというのか」と憤慨する。これに対しオクニョは「獄パラジと差し入れが食糧問題を解決する良い方法だというのですか?貧しい罪人がどういう方法で獄パラジを受けながら差し入れを食べますか?それは見かけだけの収拾策で現実を度外視したとんでもない方法なだけです」と言うので困った顔をする。
宮殿に戻ると大妃{テビ}文定{ムンジョン}王妃)に呼ばれ、「宮殿の外は危険なので出てはいけない。民がいつ暴徒に変わるかもしれない」と叱られるが、「いつ暴徒に変わるかも知らない飢えた民を直接見回して対策を用意したかった」と自分が密かに宮を抜けた理由を説明する。これに対し大妃は「それは重臣と私が作成します。主上{チュサン}が出てくることはありません」と苦言する。しかし「私は、いつまで母上の命令に従わなければなりませんか?この国の王は、私でございます!」と反抗する。

叔父であるユン・ウォニョンの招待で素素樓{ソソル}*4を訪れたが、ちょうどそこへオクニョが行首のユン・テウォンに会いにやって来た。王だと夢にも思わないオクニョから典獄署で食糧がなくなり飢えた人が大勢いるのに刑曹の官吏が妓房に入る余裕があるとはうらやましいと非難されると、「貧困は王様でもどうしようないと言っているのを聞いたことがないのか」と言ったが、「俸禄をもらっている方なら、現実を痛く感じなければならないと思う」と言い返される。続いてオクニョは食べるものがなく夫の両親と子供たちに与えるために魚の内臓を拾って食べさせたトクスの奥さんの話をし、その悲惨な話を聞いて心も痛くなったのか、結局妓房に入ることなくユン・ウォニョンに黙って宮殿に帰った。
翌朝一人苦心し護衛武官のハン・ジェソにオクニョについて調べろと指示する。

ハン・ジェソからオクニョの出自についての報告を受け、再びイ・ギジュンになりすましてオクニョに会おうとするが、イ・ギジュンが刑曹正郎でないことを知っていたオクニョは何も話すことはありませんと立ち去ろうとするので、本当は王様の命令を受けた暗行御史{アメンオサ}*5だと何とかごまかす。オクニョから馬牌{マペ}*6を求められ、今持っていないのでハン・ジェソに持ってくるよう指示して居酒屋で(生まれて初めて食べる)クッパを食べながら待つことにし、「典獄署の事情を詳しく教えてほしい」と聞くが、「主簿{チュブ}様(チョン・デシク)に聞いて下さい」ときっぱり断られると、「お前は典獄署で生まれて典獄署で育ったと聞いた。だから誰よりも典獄署の事情をよく知っているのではないか」と説明したが、かえって「その間に私の裏調査までしたのですか」とオクニョの疑念を増幅させる。そこへテウォンとトチが来て胸ぐらをつかまれ「お前何の真似だ。何でオクニョに近づくのか。詐欺師じゃないのか。お前が刑曹正郎なら俺の父親も刑曹正郎だ」と脅される。ちょうどそこへハン・ジェソら護衛武官が駆けつけてテウォンらに刀を向けて取り囲んで解放され、オクニョに馬牌を見せ、「私の身分は絶対に秘密にしてくれ。次に必ず会ってほしい」と要請して帰る。

オクニョを呼び寄せ居酒屋で会い、典獄署の事情を聞いたところ、囚人たちに平市署{ピョンシソ}*7の納品の競合に使う塩を作らせていることをを知る。外に出てきたところでテウォンらと出くわす。
帰りに平市署に寄ることにし、責任者のイ・ヨンシンに塩の競合を公正にするように特別に指示をする(オクニョからチョン・ナンジョンの商団が独占していると聞いていたため)。
競合の前にオクニョをこっそり呼びだし「平市署で競合はするなと伝えなさい。このごろ貢鹽盆{コンヨムブン}*8が不足しており軍営{クニョン}*9に塩を納品すればもっと利益が出るだろう」と耳打ちする。

またオクニョに会いに行こうとするが、ハン・ジェソから今日は申時(午後4時)に大妃様とお会いする予定になっていますと反対されるが、それまでに戻るから大丈夫だと言って会いに行くことにする。
二人きりで会ったオクニョから「もう典獄署の事情はお分かりなったのですから、これ以上旦那様に会う必要はございません」と告げられると、慌てて典獄署の事情だけでなく世の中の移り変わりを知りたいと言い訳をする。オクニョが帰ろうとするとそこにならず者(トンチャン)らが現れ、ハン・ジェソを呼ぶも来ないので焦る(ハン・ジェソら護衛の者はヤン・ドングらに気絶させられていた)。しかしオクニョが一人ずつ叩き伏せて一緒に逃げ出し何とか巻く。彼らは誰なのと尋ねるとオクニョは「話せば事情が長くなります。旦那様は知らない方がいいようです」と返事する。「ところでお前は武技を学んだのなのか。どうしてそんなに武術ができるのか」と尋ねると、オクニョは「私はしばらく体探人をしていました」と説明する。
オクニョとともに市場に来ると、煎の臭いに感づいたので、オクニョが煎を買ってくれる。オクニョが煎をおいしく食べるとすぐに一口切り取って食べる。初めて食べてみた煎に「これは臭いだけいいのかと思ったけど味も本当にいい」とおいしくいただく。これに対しオクニョは「旦那様は世の中の事情をとてもご存知ないようです。足で走って体で体験して民の暮らす事情を主上殿下に申し上げなければなりません」と助言される。そこへテウォンらが見つけてやってくる。テウォンがオクニョを連れて行こうとするので、また会おうと次の約束をしたら、テウォンから「もう会うことはないのでオクニョを訪ねないでください」と告げられる。
戻ってきたところでハン・ジェソと会い、大妃と会う時間に遅れている事に気づいて宮殿に戻ると既にしびれを切らした大妃が大殿で待っていた。急いで着替えて改めて大妃と会うと、大妃から自分や重臣たちを不信に思われたこと(だから度々宮殿の外に出るのだと思っている)を謝り、以降許してもらうまで食事はしないと告げられる。

執務室を訪れたカン・ソノに復職にあたって小尹{ソユン}*10の注目を受けないようにと助言する。また元体探人{チェタミン}*11だったというオクニョについて尋ね、パク・テスを死に追いやった罪で危機に晒されたが大妃に助けられ、典獄署の茶母に戻ったことを聞く。カン・ソノが帰った後でハン尚宮を呼んで大妃は今も絶食か尋ねると今は食事をされていると答えるので、ユン・ウォニョンかナンジョンが大妃を訪ねてきたら知らせるよう命じる。(←今ココまで)

朝鮮第13代王で在位期間は1545~1567年。名は{イ・ファン}、字は對陽{テヤン}、本貫は全州{チョンジュ}。妃は仁順{インスン}王后で青陵府院君{チョンヌンブウォングン}沈鋼{シム・ガン}の娘。中宗{チュンジョン}の2番目の嫡子であり仁宗の弟。

中宗は第1継妃章敬王后尹氏との間で仁宗を産んで、第2継妃である文定王后尹氏とは明宗を産んだ。これら二人の継妃は同じ坡平{パピョン}尹氏だったが王位継承を巡って敏感に対立していた。これらの代理権者であった章敬王后の兄尹任{ユン・イム}と文定王后の弟尹元衡{ユン・ウォニョン}が互いに国舅{クック}になって政権を占めるために早くから反目して世間では尹任を大尹{テユン}、尹元衡を小尹{ソユン}と称した。

最初仁宗が世子{セジャ}*12に冊封される時文定王后は表面的にこれを擁護したが自分が、明宗を産むとすぐに王室の雰囲気が変わった。章敬王后の兄である尹任は金安老{キム・アンロ}*13などと共にいつ文定王后が仁宗を追い出して自分の息子である明宗を世子に擁立するかも知れないと考えて世子を保護しなければなければならないと主張して文定王后と軋轢ができた。1537年(中宗32年)には金安老が失脚して文定王后勢力である尹元衡などが登用されるや王位継承権を巡って軋轢はより一層激しくなった。

しかし中宗が死んで仁宗が即位するとすぐに王位継承問題は一段落し尹任が勢力を確保するようになった。尹任は李彦迪{イ・オンジョク}など士林を登用してその勢いを回復するようだったが仁宗が在位8ヶ月で死んで明宗が12才の年齢で即位して文定王后が垂簾聴政をすることになるとすぐに情勢が急反転した。

これによって国の実権をつかんだ尹元衡一派は尹任が彼の甥であり中宗の八男である鳳城君{ポンソングン}に王位を移そうとすると噂を立てる一方、仁宗が死ぬ時に成宗{ソンジョン}の三男である桂城君{ケソングン}の養子桂林君{ケリムグン}を擁立しようとしたという口実で尹任、柳潅{ユ・ガン}柳仁淑{ユ・インスク}などを賜死してこれらの一家はもちろん彼らに従った士林を流刑させるいわゆる乙巳士禍{ウルササファ}が発生した。だが実権を掌握した文定王后と尹元衡に対する批判と牽制が起き、1547年には"女主{ヨジュ}が国を滅ぼす"という内容で文定王后の権力を非難する内容の良才駅{ヤンジェヨク}壁書{ピョクソ}事件が発生した。文定王后はこれを言い訳に大尹の残党の仕業に追い立ててこれらを全部粛清する獄死が起きて尹元衡の権力はより一層強くなった。

こういうわけで外戚が専横することになるとすぐに楊州{ヤンジュ}白丁{ペクチョン}出身である林巨正{イム・コッチョン}が1559年から1562年間に黄海道{ファンヘド}京畿道{キョンギド}一帯で貪官汚吏{たんかんおり}*14を殺すことなどが横行し、外では三浦倭乱{サンポウェラン}以来歳遣船*15の減少で困難を受けてきた倭人が1555年船60余隻で全羅道{チョルラド}に侵入して霊岩{ヨンアム}長興{チャンフン}珍島{チンド}などを蹂躪する乙卯倭変{ウルミョウェビョン}が発生した。これら倭人は李浚慶{イ・ジュンギョン}金景錫{キム・ギョンソク}南致勤{ナム・チグン}などによって霊岩で撃退され、これを契機に明宗9年(1554年)以前までは戦時にだけ設置される臨時官庁だった備辺司{ピビョンサ}*16が正規官庁になって独自の合議機関になった。

1565年文定王后が死ぬとすぐに明宗は人材を選ぶように登用して善政を展開しようと努力したがその意志を成し遂げられず34才の若さで死んだ。仁順王后との間に順懐{スンフェ}世子を産んだが1563年13才に死んでおり、王位は中宗の七男である徳興大院君{トグンデウォングン}の三男が継承し、彼がまさに宣祖{ソンジョ}である。陵は康陵{カンヌン}蘆原区{ノウォング}孔陵洞{コンヌンドン}にあって、諡号は恭憲献毅昭文光粛敬孝大王{ゴンホンホンウィソムンガンスクギョンヒョデワン}

ネイバー知識百科(斗山百科)より
出演者
ソ・ハジュン
吹替版の声
日野 聡

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